毛沢東の名言60選|「権力は銃口から生まれる」語録・革命・長征・文化大革命・思想を出典付きで解説

毛沢東(1893〜1976年)は、中華人民共和国の建国者であり、中国共産党の指導者。湖南省の農家に生まれ、マルクス主義を学んで革命運動に身を投じました。長征を経て党の実権を掌握し、1949年に中華人民共和国を建国。「大躍進政策」「文化大革命」など波乱に満ちた政策を推進し、その評価は賛否両論ありますが、20世紀の中国を形作った最重要人物の一人です。

毛沢東ってどんな人?

項目情報
名前毛 沢東(もう たくとう)
生年月日1893年12月26日
出生地中国 湖南省 湘潭県 韶山郷
死亡日1976年9月9日
学歴湖南省立第一師範学校卒業
職業政治家、革命家、軍事指導者、詩人
所属政党中国共産党
主な役職中国共産党中央委員会主席(1945年-1976年)
中華人民共和国主席(1954年-1959年)
在任期間中国共産党中央委員会主席:1945年6月19日 - 1976年9月9日
中華人民共和国主席:1954年9月27日 - 1959年4月27日
家族妻:楊開慧、賀子珍、江青など
子供:毛岸英、毛岸青、李敏、李納など
宗教無神論者
主な政策土地改革運動、大躍進政策、文化大革命など
著作『毛沢東選集』、『実践論』、『矛盾論』など

毛沢東は1893年12月26日、中国湖南省の農家に生まれました。若い頃から革命思想に触れ、1918年に北京大学図書館で働きながらマルクス主義を学びました。1921年に中国共産党の創設に参加し、農民を基盤とした革命運動を推進しました。国民党との対立が深まる中、長征(1934年-1935年)を経て中国共産党の指導者としての地位を確立しました。日中戦争(抗日戦争)や国共内戦を経て、1949年に中華人民共和国の成立を宣言し、初代国家主席となりました。毛沢東は社会主義建設のための様々な政策を実施しましたが、その中には「大躍進政策」(1958年-1961年)や「文化大革命」(1966年-1976年)など、大きな混乱と犠牲を伴うものもありました。これらの政策は中国の社会・経済に深刻な影響を及ぼしましたが、毛沢東はそれらを通じて中国の社会主義化と思想改革を推進しようとしました。1976年9月9日、毛沢東は83歳で逝去しました。彼の死後、中国は改革開放政策へと転換し、経済発展の道を歩み始めました。毛沢東は中国における20世紀最大の指導者であり、その功績と影響は現在も議論の対象となっています。彼の思想は「毛沢東思想」として中国共産党の指導理念の一つとなっています。

毛沢東の思想がわかる名言・語録

これらの名言は、毛沢東の革命観と彼のマルクス主義思想をよく表しています。彼は、社会の変革には対立と闘争が不可欠であり、理想を実現するためには困難を乗り越える必要があると考えていました。これらの言葉を通じて、彼の信念と革命に対する情熱が伝わってきます。

解説: この名言は、毛沢東が1927年に開催された中国共産党の「八七会議」で述べた言葉です。彼は、政治的な権力や支配は武力によって獲得され、維持されると主張しました。これは、当時の中国が軍閥や外国勢力によって混乱していた状況を背景に、革命を成功させるためには武装闘争が不可欠であると考えたためです。毛沢東の思想において、軍事力は革命の推進力であり、この名言は彼の武装革命の必要性を強調しています。

解説: この言葉は、1927年に書かれた「湖南農民運動考察報告」の中で述べられたものです。毛沢東は、「革命は宴会や文章を書くこと、絵を描くことや刺繍をすることではない。それは一つの階級が別の階級を打倒する暴力的な行動である」と述べました。これは、革命が穏やかで優雅な活動ではなく、激しい闘争と犠牲を伴うものであることを示しています。彼は、人々に革命の現実とその厳しさを理解させ、覚悟を持って取り組むことを求めました。

毛沢東の功績とエピソード

長征1万2500km——不屈の行軍が革命を生んだ

1934年10月、国民党軍に追い詰められた中国共産党の紅軍約8万人は、江西省の根拠地を脱出して「長征」を開始した。約1年かけて1万2500kmを踏破し、延安に到達した時、生き残りはわずか約8000人だった。この過酷な行軍の中で毛沢東は党内での指導的地位を確立し、後の中華人民共和国建国への道を切り開いた。

天安門で中華人民共和国の建国を宣言

1949年10月1日、毛沢東は北京の天安門の楼上に立ち、「中華人民共和国中央人民政府は本日成立した」と宣言した。日中戦争と国共内戦を経て、約4億人の人口を擁する新国家が誕生した瞬間だった。毛沢東は初代国家主席として社会主義国家の建設を推進し、20世紀の世界史に巨大な足跡を残した。

革命・権力・武装闘争の名言

毛沢東の名言「権力は銃口から生まれる。」

"権力は銃口から生まれる。"

出典:1927年「八七会議」での発言。軍閥が跋扈する中国で、革命には武装闘争が不可欠と訴えた毛沢東の最も有名な言葉。

"革命は宴会ではない。"

出典:1927年「湖南農民運動考察報告」より。革命とは激しい闘争と犠牲を伴う行動であり、優雅な営みではないと示した言葉。

"鉄砲から政権が生まれる。"

出典:著書『毛沢東選集』より。「権力は銃口から生まれる」と同義の言葉で、武力による国家権力の掌握を示す。

"革命とは暴力である。一つの階級が他の階級をうち倒す、激烈な行動なのである。"

出典:著書・講演より。マルクス主義の階級闘争理論を中国の現実に当てはめた、毛沢東思想の核心を示す言葉。

"政治とは、流血を伴わぬ戦争である。一方、戦争とは、流血を伴う政治である。"

出典:著書より。政治と戦争を連続した行為として捉えるクラウゼヴィッツ的な軍事哲学を示す言葉。

"無抵抗は我々には命取りになる。我々の目標は敵に抵抗させないことだ。"

出典:軍事理論より。国民党および外国勢力との対峙における戦略的姿勢を示した言葉。

戦略・思想・知識の名言

毛沢東の名言「反動派はみな張子の虎のようなものだ。勝敗を決めるのは人であって物ではない。戦略では敵を軽視し、戦術では重要視する。」

"反動派はみな張子の虎のようなものだ。勝敗を決めるのは人であって物ではない。戦略では敵を軽視し、戦術では重要視する。"

出典:『毛沢東選集』より。長期的な視点と局所的な現実主義を同時に持つことの重要性を示した言葉。

"私の戦略は、一をもって十に対抗することである。私の戦術は、一の敵に対して十をもって撃破することである。"

出典:軍事理論より。全体的な劣勢でも局所的優勢を作り勝つという「各個撃破」戦術を示した言葉。

"小さな火花も荒野を焼き尽くす。"

出典:1930年の書簡より。農村における革命運動の小さな火種が中国全土を変えると述べた言葉。

"梨の実の味が知りたいのなら、自分の手でもぎ取って食べてみなければならない。本物の知識というものはすべて、直接体験する中で生ずる。"

出典:著書『実践論』(1937年)より。実践を通じた知識の獲得を重視する、毛沢東哲学の核心を示す言葉。

"知識を得たければ、現実を変革する実践に参加しなければならない。"

出典:著書『実践論』より。観念的な学習より現実への関与から知識は生まれるとした毛沢東の教育観を示す言葉。

"どんな事物でも矛盾をふくんでいないものはなく、矛盾がなければ世界はない。"

出典:著書『矛盾論』(1937年)より。弁証法的唯物論に基づく毛沢東の世界観を示す中心的な言葉。

人民・社会・指導者の名言

毛沢東の名言「人民、ただ人民のみが世界の歴史を創造する原動力である。」

"人民、ただ人民のみが世界の歴史を創造する原動力である。"

出典:著書より。英雄史観を否定し、民衆こそが歴史を動かす主体であるという毛沢東思想の根幹を示す言葉。

"空の半分を支えているのは女性である。"

出典:毛沢東の語録より。当時の中国社会における女性解放を訴えた言葉として有名。

"大衆の中から出て、大衆の中へ入る。"

出典:著書より。指導者や政策は人民の意見を吸い上げた上で策定し、それを人民の中に戻すべきとした毛沢東のリーダーシップ論。

"批判は事が行われているときにすべきである。いつでも事が済んでから批判する癖をつけてはいけない。"

出典:著書より。批評は後出しではなく、当事者として事の最中に行うべきという責任感を示す言葉。

"人間は若くて無名で貧乏でなければ、よい仕事はできない。"

出典:語録より。失うものがない若さと無名性が、大きな変革の原動力になると説いた言葉。

謙虚・学習・自己啓発の名言

毛沢東の名言「謙虚は人を進歩させ、傲慢は堕落させる。」

"謙虚は人を進歩させ、傲慢は堕落させる。"

出典:語録より。革命後の建国期に党員・幹部への自戒として語った言葉。成功後こそ謙虚さを失わないよう求めた。

"知識の問題は科学の問題であり、いささかの虚偽や傲慢さもあってはならず、その反対のもの、誠実さと謙虚な態度が決定的に必要とされるのである。"

出典:著書より。客観的な認識を得るための誠実さと謙虚さの必要性を示す言葉。

"われわれは、問題を全面的に見ることを習得しなければならない。事物の正面を見るだけでなく、その反面をも見なければならない。"

出典:著書より。物事を一面的に捉えず、弁証法的に多角的に見る思考法の重要性を示す言葉。

"何事もよく頭を使って考えるべきである。橋か船がないと、川を渡ることはできない。事実に基づいて真実を求める。客観的な真実の状況から出発せよ。"

出典:著書より。問題解決には現実に即した具体的な方法論が必要と示した言葉。

"人々が仕事に成功しようと思うなら、自分の思想を客観的外界の法則性に合致させなければならない。"

出典:著書より。主観的な願望ではなく客観的な現実に基づいて行動することの重要性を示す言葉。

"困難あり、便法あり、希望あり。"

出典:語録より。困難な状況の中にこそ解決の道と希望があると示した、毛沢東の楽観的な行動哲学を示す言葉。

『毛沢東語録』(小紅書)に収録された革命・思想の名言

毛沢東(1893-1976)は中華人民共和国の建国者であり、中国共産党の初代指導者です。1949年10月1日の建国宣言で知られ、その思想は『毛沢東語録』(通称"小紅書"/"リトル・レッド・ブック")として世界中で9億冊以上が発行されました。革命、人民戦争、農村革命、長征、大躍進政策、文化大革命など、中国近代史を根底から動かした人物の言葉をここにまとめます。

毛沢東語録の代表的な名言

「権力は銃口から生まれる(槍桿子裡面出政権)」

出典:毛沢東『毛沢東語録』/ 1927年「政権は銃口から生まれる」論文

「人民に奉仕する(為人民服務)」

出典:毛沢東 1944年9月8日「人民に奉仕する」講話 (張思徳追悼演説)

「革命は宴席ではない。絵を描くことでも、刺繍をすることでもない」

出典:毛沢東『湖南省農民運動考察報告』(1927年)

「東風は西風を圧倒する」

出典:毛沢東 1957年モスクワ社会主義国会議での発言

「星の火も、野原を焼き尽くすことができる(星星之火可以燎原)」

出典:毛沢東 1930年1月「一つの火花から野火が広がる」(星火燎原)

「農村から都市を包囲する(農村包囲城市)」

出典:毛沢東 中国革命の基本戦略論

毛沢東の長征・建国・リーダーシップの名言

「長征は宣伝隊であり、播種機である」

出典:毛沢東 長征(1934-1936、約12,500km)完了後の総括

「中華人民共和国成立、中国人民は立ち上がった」

出典:毛沢東 1949年10月1日 中華人民共和国建国宣言 天安門広場

「実践は真理を検証する唯一の基準である」

出典:毛沢東 『実践論』(1937年)

「調査なくして発言権なし(没有調查就没有発言権)」

出典:毛沢東 1930年「反対本本主義」論文

「百花斉放、百家争鳴」

出典:毛沢東 1956年知識人政策スローガン (後に反右派闘争に転化)

「帝国主義はすべて紙の虎である」

出典:毛沢東 1946年アンナ・ルイス・ストロングとの会見

「正しい思想は、天から降ってくるものでもなく、頭の中に生まれつきあるものでもない。社会の実践から来るのだ」

出典:毛沢東 『実践論』(1937年)

「愚公は山を移す(愚公移山)。精神力があれば、不可能はない」

出典:毛沢東 1945年6月11日「愚公移山」演説 (中国共産党第7回全国代表大会閉幕演説)

「世界の事柄は、恐れれば何もできない。大胆に実践することが必要だ」

出典:毛沢東 『矛盾論』より

「革命に失敗は存在しない。あるのは、次の勝利への準備だけだ」

出典:毛沢東 革命哲学

「敵は我々を恐れている。恐れているということは、我々が正しいということだ」

出典:毛沢東 ゲリラ戦論

よくある質問

「権力は銃口から生まれる」の意味は?

1927年の論文で示されたこの言葉は、「政治権力は武力(軍事力)を通じてのみ獲得・維持される」という毛沢東の革命理論の核心です。中国共産党が国民党との内戦を戦い、最終的に軍事的勝利によって政権を獲得した歴史的経験から導き出された原則で、冷酷な政治リアリズムを表現しています。

『毛沢東語録』(小紅書)とは?

『毛沢東語録』は1964年に中国人民解放軍総政治部が編集した毛沢東の言葉を集めた書籍で、赤い表紙から「小紅書(リトル・レッド・ブック)」と呼ばれます。文化大革命(1966-1976年)期に全国民に配布され、推定9億冊以上が発行された世界で最も多く出版された書籍の一つです。

毛沢東はいつ中華人民共和国を建国した?

1949年10月1日、毛沢東は北京の天安門広場で中華人民共和国の建国を宣言しました。「中国人民は立ち上がった(中国人民站起来了)」という歴史的な一言は、100年以上続いた半植民地状態からの解放を象徴する言葉として今も語り継がれています。

長征とは何?

長征(1934-1936年)は、中国共産党紅軍が国民党軍の包囲から逃れるために行った約12,500kmの大行軍です。約86,000人が出発し、生き残ったのは約7,000人とされる過酷な行程でしたが、この長征を通じて毛沢東が党の指導権を確立し、共産党の精神的団結が強化されました。

文化大革命とは何だった?

文化大革命(プロレタリア文化大革命、1966-1976年)は、毛沢東が発動した政治運動で、「資本主義の道を歩む実権派」を打倒し、社会主義革命を徹底することを名目としました。紅衛兵による知識人・党幹部への迫害、歴史遺産の破壊など、中国社会に甚大な被害をもたらした悲劇的な10年間で、毛沢東の功罪を考える上で避けて通れない歴史です。

毛沢東の歴史的評価は?

中国共産党は1981年の歴史決議で毛沢東を「功績が第一、過ちが第二」と公式評価しました。中華人民共和国の建国者として中国を統一した功績は認めつつ、大躍進政策(推定数千万人の餓死)、文化大革命(社会の破壊)など重大な過ちも指摘されています。中国国内では「七分功三分過」と表現されることがあります。

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