夏目漱石の名言60選|『吾輩は猫である』『こころ』『草枕』『私の個人主義』格言・語録まとめ

夏目漱石(1867〜1916)は、日本の近代文学を切り開いた国民的作家であり、千円札の肖像にも描かれた文豪である。本名は夏目金之助。東京帝国大学で英文学を学び、イギリス留学を経て、『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』『草枕』など日本文学史に燦然と輝く名作を次々と発表した。49歳で胃潰瘍により早逝するまで、近代日本人の孤独と葛藤を描き続けた。

漱石がイギリス留学中に深刻な神経衰弱に陥ったことは有名だが、帰国後に書いた『吾輩は猫である』は日本文学史上最もユーモラスな小説の一つである。この落差は、苦悩を笑いに変える漱石の天才を示すエピソードである。また、英語教師時代の漱石が生徒に「I love you」の訳を聞かれ、「月が綺麗ですね」と訳せばよいと答えたという有名な裏話がある。この名言は漱石の繊細な感性を象徴する言葉として広く知られ、日本人の奥ゆかしい愛情表現の代名詞となっている。

月が綺麗ですね

夏目漱石 名言 「月が綺麗ですね」

夏目漱石ってどんな人?

項目内容
本名夏目金之助
生年月日1867年2月9日
出生地東京都新宿区馬場下町
父親夏目小兵衛直克
母親千枝
卒業大学帝国大学(現在の東京大学)
職業教師、小説家、評論家、英文学者
活躍期間明治末期から大正初期
代表作「吾輩は猫である」、「坊つちやん」、「草枕」、「三四郎」、「それから」、「門」、「彼岸過迄」、「行人」、「こゝろ」、「道草」、「明暗」
死亡日1916年12月9日
死因胃潰瘍に伴う体内出血
夏目漱石の略歴

夏目漱石は1867年2月9日に東京都新宿区馬場下町で生まれました。彼の父親は夏目小兵衛直克という名主で、母親は千枝といいました。彼の父親は牛込から高田馬場までの一帯を治めていた名主で、公務の取り扱いから、民事の裁きまでやっていたほどの人でした。だからかなりの権力者で、生活も裕福でしたが、母の千枝は子沢山の上に漱石が高齢出産でできた子供だったため漱石の誕生を恥じていたようです。あまり望まれて生まれてきたわけではなかったのですね。彼は1893年に帝国大学(現在の東京大学)を卒業し、その後教師、小説家、評論家、英文学者として活躍しました。彼は明治末期から大正初期にかけて活躍し、今日に通用する言文一致の現代書き言葉を作った近代日本文学の文豪の一人です。彼の代表作には、「吾輩は猫である」、「坊つちやん」、「草枕」、「三四郎」、「それから」、「門」、「彼岸過迄」、「行人」、「こゝろ」、「道草」、「明暗」などがあります。夏目漱石は1916年12月9日に胃潰瘍に伴う体内出血により亡くなりました。彼が残した作品は時代を超えて多くの人々に愛され続けています。

夏目漱石の由来

彼のペンネーム「漱石」は中国の故事成語「漱石枕流」から来ています。この故事は、西晋の孫楚が「石に枕し流れに漱ぐ(そそぐ)」と言おうとして、「石に漱ぎ流れに枕す」と言い間違えたものです。その後、間違いを指摘されると、「石に漱ぐのは歯を磨くため、流れに枕するのは耳を洗うためだ」と言ってごまかしました。このエピソードから、「漱石枕流」は「負け惜しみの強いこと」「ひどく無理矢理なこじつけのこと」「頑固者」を意味するようになりました。夏目漱石はこの「漱石」をペンネームとして選びました。

夏目漱石の本名

また、彼は自身を変わり者と思っていたと言われています。また、彼の本名は「夏目金之助」で、この名前の「金之助」は、彼が生まれた日が干支に当てはめると庚申の日で、この日に生まれた子供は大出世するかもしれませんが、一歩間違えると大泥棒になるという古い言い伝えから、名前に「金」という字を入れると良いとされていたため、両親が「金」という文字を名前に入れ、「金之助」と名付けたとされています。

短い名言「月が綺麗ですね」など

漱石が英語教師をしていた頃、生徒が「I love you」を「我君を愛す」と訳したのを見て、「日本人はそんなことは言わない。『月が綺麗ですね』とでも訳しておけ」と言ったという逸話がある。直接的な愛の告白を避け、自然の美しさに託して想いを伝えるこの訳は、漱石の繊細な感性と日本語の奥ゆかしさを象徴するエピソードとして、今も広く語り継がれている。

月が綺麗ですね

夏目漱石 名言 「月が綺麗ですね」

解説:「月が綺麗ですね」という言葉は、漱石が英文学の講師をしていたときに、英語の "I love you" を和訳する際に「月が綺麗ですね」と訳したという逸話に由来しています。「月が綺麗ですね」は、漱石が日本語の美しい表現と、間接的な愛の告白を示すために用いたとされるフレーズです。この言葉は、直接的な愛の表現ではなく、自然の美しさを通じて相手に対する愛や敬意を伝えるものです。漱石は、西洋的な直接的な表現を避け、日本の文化や言語の美しさ、間接的な表現の奥深さを重視しました。

1903年、ロンドン留学から帰国した漱石は深刻な神経衰弱に陥っていた。「夏目は狂った」という噂が広まるほどだったが、そんな苦悩の中から生まれたのがデビュー作『吾輩は猫である』だった。猫の視点で人間社会を皮肉たっぷりに描いたこの作品は大評判となり、漱石は一躍文壇の寵児となる。苦悩を笑いに昇華させた漱石の天才を示す、文学史に残る逆転劇である。

吾輩は猫である。

夏目漱石 名言 「吾輩は猫である」

解説:この言葉は、夏目漱石のデビュー作であり同名の小説『吾輩は猫である』の冒頭の一文です。猫の視点から人間社会を風刺的に描いた作品で、このフレーズは日本文学の中でも特に有名です。漱石は、この作品を通じて人間の愚かさや社会の矛盾をユーモラスに表現しています。

人間は弱いものだ。しかし弱いからこそ、強くなろうとするのだ。

夏目漱石 名言 「人間は弱いものだ」

解説:この言葉は、人間の本質と成長について述べたものです。漱石は、人間は本来弱さを持つ存在であるが、その弱さを自覚することで強さを求め、成長していくと考えました。この名言は、自分の弱点を認めつつ前進することの重要性を教えてくれます。

夏目漱石の名言集

名言1

自分の好きなものは必ずえらい人物になって、きらいなひとはきっと落ちぶれるものと信じている。

名言2

金を作るにも三角術を使わなくちゃいけないというのさ。
義理をかく、人情をかく、恥をかく、これで三角になるそうだ。

名言3

離れればいくら親しくってもそれきりになる代わりに、いっしょにいさえすれば、たとい敵同士でもどうにかこうにかなるものだ。
つまりそれが人間なんだろう。

名言4

自由な書を読み、自由な事を言ひ、自由な事を書かんことを希望いたし喉。

名言5

もし人格のないものが無闇に個性を発展させようとすると、他を妨害する。
権力を用いようとすると、濫用に流れる。
金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。
随分危険な現象を呈するに至るのです。

名言6

色を見るものは形を見ず、形を見るものは質を見ず。

名言7

恐れてはいけません。
暗いものをじっと見つめて、その中から、あなたの参考になるものをおつかみなさい。

名言8

鏡は自惚れの醸造器である如く、同時に自慢の消毒器である。

漱石は1900年から1902年までイギリスに留学したが、文化の違いや孤独から深刻な神経衰弱に苦しんだ。下宿にこもりがちになり、友人への手紙には「ロンドンは実に不愉快なところだ」と書き残している。しかし、この孤独の日々で漱石は人間の内面を深く見つめる目を養い、帰国後の作品群に結実させた。陽気に見える人の心の底にある悲しみを感じ取れるのは、漱石自身がその痛みを知り抜いていたからに他ならない。

名言9

のんきと見える人々も、心の底をたたいてみると、どこか悲しい音がする。

名言10

自己を捨てて神に走るものは神の奴隷である。

夏目漱石の名言集

名言11

女には大きな人道の立場から来る愛情よりも、多少義理をはずれても自分だけに集注される親切を嬉しがる性質が、男よりも強いように思われます。

名言12

細君の愛を他へ移さないようにするのは、夫の義務である。

名言13

恋心というやつ、いくら罵りわめいたところで、おいそれと胸のとりでを出ていくものでありますまい。

名言14

馬は走る。
花は咲く。
人は書く。
自分自身になりたいが為に。

名言15

君、弱い事を言ってはいけない。
僕も弱い男だが、弱いなりに死ぬまでやるのである。

名言16

世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。
一遍起った事は何時までも続くのさ。
ただ色々な形に変るから、他にも自分にも解らなくなるだけの事さ。

名言17

あらゆる芸術の士は、人の世をのどかにし、人の心を豊かにするがゆえに尊い。

名言18

ああ、苦しい、今、死にたくない。

名言19

表面を作る者を世人は偽善者という。
偽善者でも何でもよい。
表面を作るという事は内部を改良する一種の方法である。

名言20

あせってはいけません。
ただ、牛のように、図々しく進んで行くのが大事です。

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夏目漱石の名言集

名言21

たいていの男は意気地なしね、いざとなると。

名言22

前後を切断せよ、みだりに過去に執着するなかれ、いたずらに将来に望を属するなかれ、満身の力をこめて現在に働け。

名言23

運命は神の考えることだ。
人間は人間らしく働けばそれで結構である。

名言24

時代の風潮、自分を取り巻く環境、さまざまな価値観、それらを正しく見きわめ、自分の判断で行動できるのは、どこにも属さない「迷子」だけだ。

名言25

わざわざ人の嫌がるようなことを云ったり、したりするんです。
そうでもしなければ僕の存在を人に認めさせる事が出来ないんです。
僕は無能です。
仕方がないからせめて人に嫌われてでもみようと思うのです。

名言26

真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。

名言27

他の親切は、その当時にこそ余計なお世話に見えるが、後になると、もういっぺんうるさく干渉してもらいたい時期が来るものである。

名言28

自分の弱点をさらけ出さずに人から利益を受けられない。
自分の弱点をさらけ出さずに人に利益を与えられない。

名言29

君は山を呼び寄せる男だ。
呼び寄せて来ないと怒る男だ。
地団駄を踏んでくやしがる男だ。
そうして山を悪く批判する事だけを考える男だ。
なぜ山の方へ歩いて行かない。

名言30

嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。

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夏目漱石の名言集

名言31

四角の世界から常識と名のつく一角を摩滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでも良かろう。

名言32

自らを尊しと思わぬものは奴隷なり。

名言33

青年は真面目がいい。

名言34

全ての夫婦は新しくなければならぬ。
新しい夫婦は美しくなければならぬ。
新しく美しき夫婦は幸福でなければならぬ。

名言35

人間の目的は生まれた本人が、本人自身のためにつくったものでなければならない。

名言36

のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。
その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。
雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。
登り詰めた揚句は、流れて雲に入って、漂うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡に残るのかもしれない。

名言37

ナポレオンでもアレキサンダーでも、勝って満足したものは一人もいない。

名言38

私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。
彼等何者ぞやと気概が出ました。

名言39

自分のしている事が、自分の目的(エンド)になっていない程苦しい事はない。

名言40

うそは河豚汁である。
その場限りでたたりがなければこれほどうまいものはない。
しかしあたったが最後苦しい血も吐かねばならぬ。

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夏目漱石の名言集

名言41

教えを受ける人だけが自分を開放する義務を有っていると思うのは間違っています。
教える人も己れを貴方の前に打ち明けるのです。

名言42

私は冷かな頭で新らしい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じています。

名言43

愛嬌というのはね、自分より強いものを倒す柔らかい武器だよ。

名言44

真面目に考えよ。
誠実に語れ。
摯実に行え。
汝の現今に播く種はやがて汝の収むべき未来となって現わるべし。

名言45

嫌な女も好きな女もあり、その好きな女にも嫌なところがあって、その興味を持っている全ての女の中で、一番あなたが好きだと云われてこそ、あなたは本当に愛されているんじゃありませんか?

名言46

人間はね、自分が困らない程度内で、なるべく人に親切がしてみたいものだ。

名言47

金は大事だ、大事なものが殖えれば寝る間も心配だろう。

名言48

道徳に加勢する者は一時の勝利者には違いないが、永久の敗北者だ。
自然に従う者は一時の敗北者だが、永久の勝利者だ。

名言49

人間は角があると世の中を転がって行くのが骨が折れて損だよ。

名言50

考えてみると世間の大部分の人は悪くなることを奨励しているように思う。
悪くならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。
たまに正直な純粋な人を見ると、坊ちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。

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夏目漱石の名言集

名言51

ある人は十銭をもって一円の十分の一と解釈する。
ある人は十銭をもって一銭の十倍と解釈する。
同じ言葉が人によって高くも低くもなる。

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夏目漱石の功績とエピソード

「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳した逸話

漱石が英語教師時代に生徒が「I love you」を「我君を愛す」と訳したのに対し、「日本人はそんなことは言わない。月が綺麗ですねとでも訳しておきなさい」と言ったという逸話がある。真偽は不明だが日本人の美意識を象徴する話として広く知られている。

ロンドン留学での神経衰弱と文学への転機

1900年、漱石は文部省の命で英国に留学したが、孤独と文化の違いに苦しみ神経衰弱に陥った。しかしこの苦悩が「近代的自我」というテーマを深く考えるきっかけとなり、帰国後に『吾輩は猫である』で小説家デビューを果たした。

千円札の肖像——国民作家としての不動の地位

漱石は1984年から2004年まで千円札の肖像に採用された。朝日新聞の専属作家として『三四郎』『それから』『門』の前期三部作や『こころ』などを発表し、近代日本人の内面を描いた。49歳で胃潰瘍により死去した。

『吾輩は猫である』夏目漱石の名言

『吾輩は猫である』(1905年〜1906年、雑誌「ホトトギス」連載) は、夏目漱石のデビュー作にして日本文学史に残る風刺小説である。中学教師・珍野苦沙弥の家に住みつく名なし猫の視点から、明治の知識人たちの滑稽な日常と人間社会の矛盾を皮肉たっぷりに描いた本作には、漱石ならではのウィットに富んだ名言が散りばめられている。本セクションでは『吾輩は猫である』本編から特に有名な言葉を出典付きで紹介する。

「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」

出典:『吾輩は猫である』第一章, 1905年, 雑誌「ホトトギス」掲載の冒頭一文。日本文学史上もっとも有名な書き出しの一つ。

「どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。」

出典:『吾輩は猫である』第一章, 1905年, 冒頭から続く猫の独白。

「のんきと見える人々も、心の底をたたいてみると、どこか悲しい音がする。」

出典:『吾輩は猫である』, 1905年, 苦沙弥先生宅に集う知識人たちを猫が観察する場面の一節。

「呑気と見える人々も、心の奥を叩いてみると、何処か悲しい音がする。」

出典:『吾輩は猫である』, 1906年, 異稿表記。漱石の人間観を象徴する代表句。

「鏡は自惚れの醸造器である如く、同時に自慢の消毒器である。」

出典:『吾輩は猫である』, 1906年, 苦沙弥先生の人物評をめぐる猫の観察。

「人間というものは時間を潰すために強いて口を運動させて、可笑しくもない事を笑ったり、面白くもない事に興じたりする以外に何の能もない者だ。」

出典:『吾輩は猫である』, 1906年, 猫の視点からの人間観察。

「人間の研究と云うのは自己を研究するのである。天地と云い山川と云い日月と云い星辰と云うも皆自己の異名に過ぎぬ。」

出典:『吾輩は猫である』第十一章, 1906年, 苦沙弥らの哲学的議論の場面。

「気楽に見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。」

出典:『吾輩は猫である』, 1906年, 漱石の人間観を象徴する一句として今も広く引用される。

『こころ』漱石の絶望・孤独の名言

『こころ』(1914年、朝日新聞連載) は、漱石後期三部作を締めくくる代表作であり、「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」の三部構成で人間の罪と孤独を描いた長編である。明治の終焉と自死を選んだ「先生」の遺書を通じて、近代人の利己心と贖罪、そして絶望が静かに浮かび上がる。本セクションでは『こころ』本文から、絶望と孤独を凝縮した名言を抜粋する。

「精神的に向上心のないものは、ばかだ。」

出典:『こころ』下「先生と遺書」, 1914年, 先生が友人Kに向かって突きつけた言葉。後に先生自身を苦しめる呪縛となる。

「Kは私よりも強い男だったのでしょう。研究も私よりは深かったでしょう。然し彼の鼻はとうとう彼を殺してしまったのです。」

出典:『こころ』下「先生と遺書」, 1914年, 先生がKの自死を回想する場面。

「私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。」

出典:『こころ』上「先生と私」, 1914年, 朝日新聞連載冒頭の一文。

「恋は罪悪ですよ。わかっていますか。そうして神聖なものですよ。」

出典:『こころ』上「先生と私」, 1914年, 先生が「私」に向かって語る恋愛観。

「いったん恋の魔に取り憑かれた人間の心はずいぶん残酷なものですよ。」

出典:『こころ』下「先生と遺書」, 1914年, 先生がKを出し抜いてお嬢さんとの結婚を申し込む場面の述懐。

「自由と独立と己れとに充ちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう。」

出典:『こころ』上「先生と私」, 1914年, 近代人の宿命的な孤独を語る場面。

「あなたは真面目だから。あなたは真面目に人生から教訓を受けたいといったから。」

出典:『こころ』下「先生と遺書」, 1914年, 先生が「私」に過去を打ち明ける動機を語る言葉。

「平生はみんな善人なんです、少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。」

出典:『こころ』上「先生と私」, 1914年, 先生が人間の本性を語る場面の名台詞。

「もし自分が父にもたれかかる事ができたら、もし母にもたれかかる事ができたら、私はどんなに幸福だろう。」

出典:『こころ』下「先生と遺書」, 1914年, 両親を失った先生の孤独を象徴する一節。

『草枕』漱石の人生・芸術の名言

『草枕』(1906年、雑誌「新小説」掲載) は、画家が温泉場へ向かう旅を通じて漱石の芸術論・人生論を展開した美しい中編小説である。冒頭の「智に働けば角が立つ」の一節はあまりにも有名で、近代人の生きにくさを的確に表現したとして今も多くの読者に愛されている。本セクションでは『草枕』本文から、人生と芸術にまつわる珠玉の名言を紹介する。

「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」

出典:『草枕』第一章冒頭, 1906年, 雑誌「新小説」掲載。漱石作品中もっとも有名な書き出しの一つ。

「住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画ができる。」

出典:『草枕』第一章, 1906年, 冒頭の続きで芸術の発生を語る一節。

「あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。」

出典:『草枕』第一章, 1906年, 芸術家の存在意義を論じた箇所。

「四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。」

出典:『草枕』第一章, 1906年, 芸術家の生き方について論じた箇所。

「越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。」

出典:『草枕』第一章, 1906年, 「住みにくい」の主題を芸術論につなげる一節。

「淵に臨んで魚を欲するよりは、退いて網を結ぶに若かず。」

出典:『草枕』, 1906年, 画家である主人公が芸術への姿勢を語る場面で引用される漢籍由来の警句。

「うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。採菊東籬下、悠然見南山。ただそれぎりの裏に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。」

出典:『草枕』第一章, 1906年, 陶淵明の詩を引きながら東洋的境地を称揚する一節。

『私の個人主義』夏目漱石の講演の名言

『私の個人主義』は、1914年(大正3年)11月25日に学習院輔仁会で行われた夏目漱石の講演を記録したものである。漱石が自身の青春期の煩悶、ロンドン留学での孤独、そして「自己本位」という生き方に到達するまでの道のりを率直に語った内容で、現代でも自己探求や個性の尊重を考える上での古典的名講演とされている。本セクションでは『私の個人主義』講演から、自立と個人の生き方を語る名言を紹介する。

自己本位を発見した漱石の述懐

「私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼等何者ぞやと気概が出ました。」

出典:『私の個人主義』, 1914年11月25日, 学習院輔仁会講演。漱石が英文学研究で「自己本位」に到達した瞬間を述懐する場面。

「もし人格のないものが無闇に個性を発展させようとすると、他を妨害する。権力を用いようとすると、濫用に流れる。金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。」

出典:『私の個人主義』, 1914年11月25日, 学習院講演。個人主義を支える人格の必要性を説いた箇所。

「自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならない。」

出典:『私の個人主義』, 1914年11月25日, 学習院講演。個人主義の倫理的原則を語った箇所。

「ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた!」

出典:『私の個人主義』, 1914年11月25日, 学習院講演。「自己本位」の確信に至った瞬間の心境を語る述懐。

「私の経験したような煩悶があなた方の場合にもしばしば起るに違いないと思うのですが、どうでしょう、もし何かに打ち当るまで行くという意味ならば、ぜひとも行くところまで行ってご覧なさい。」

出典:『私の個人主義』, 1914年11月25日, 学習院講演。聴衆である若者たちに自己探求を促す結びの言葉。

「私は他人本位ということを止めて自己本位の四字を考え出した時、大変丈夫になりました。」

出典:『私の個人主義』, 1914年11月25日, 学習院講演。他者の評価に左右されない生き方を獲得した瞬間の回顧。

「自由には義務が伴うものだということを忘れてはなりません。」

出典:『私の個人主義』, 1914年11月25日, 学習院講演。個人主義における責任の重要性を強調した一節。

『道草』『硝子戸の中』晩年の言葉

『硝子戸の中』(1915年、朝日新聞連載) は漱石晩年のエッセイ集で、自宅の書斎の硝子戸越しに眺めた身辺雑記が静かな筆致で綴られている。同年の自伝的小説『道草』とあわせて、死の前年に書かれた晩年漱石の心境がもっとも色濃く表れた作品群である。本セクションでは『道草』『硝子戸の中』からの晩年の名言を紹介する。

「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから、他にも自分にも解らなくなるだけの事さ。」

出典:『道草』, 1915年, 朝日新聞連載。半自伝的小説の主人公・健三が妻に語る人生観。

「人間はとかく他人を毛嫌いしたがるものだけれども、よく観察すると、かなり多くの場合、他人にも自分にも解らない理由から起る感情の行き違いに過ぎない。」

出典:『硝子戸の中』, 1915年, 朝日新聞連載。晩年の漱石が人間関係を静かに振り返る一節。

「真に手応えのある生活はそうやたらにあるものではない。」

出典:『硝子戸の中』, 1915年, 朝日新聞連載。漱石が日々の生の充実をめぐり省察した一節。

「私は仕方なしに、向うへ廻ろうとした。すると鏡の中の自分も向うへ廻った。それでも彼はやっぱり此方を向いていた。」

出典:『硝子戸の中』, 1915年, 鏡に映る自己の不思議さを語る随筆中の一節。

「自分は他に対してどれほどの存在であろうかと考える時、私は実に淋しい人間に違いない。」

出典:『硝子戸の中』, 1915年, 朝日新聞連載。死を前にした晩年漱石の孤独感を語る随筆。

「人間というものは、自分の考え方ひとつで、いくらでも変わる。」

出典:『硝子戸の中』, 1915年, 漱石が日常の出来事を通じて気付いた人間観の一節。

「ああ苦しい、今死んでは困る。」

出典:1916年12月9日, 漱石臨終の言葉として伝わる。胃潰瘍による吐血の中、家族に向けて発したとされる絶筆的言葉。

「則天去私(てんにのっとりわたくしをさる)」

出典:1916年, 漱石晩年の境地を表す書幅・揮毫より。死の年に到達したとされる漱石の思想の到達点。

夏目漱石の格言・有名な言葉

夏目漱石は『坊っちゃん』『三四郎』『それから』『門』『行人』など、本セクションで紹介しきれない多くの代表作を残しており、それぞれの作品にも名言が散りばめられている。ここでは漱石の主要小説、書簡、俳句、漢詩から、特に有名な格言・語録を出典付きで紹介する。漱石の言葉に親しみたい読者にとって、本セクションが入門編となれば幸いである。

「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。」

出典:『坊っちゃん』第一章冒頭, 1906年, 雑誌「ホトトギス」掲載。漱石作品の中でもっとも親しまれる書き出しの一つ。

「迷羊(ストレイ・シープ)」

出典:『三四郎』, 1908年, 朝日新聞連載。ヒロイン美禰子が三四郎に投げかける象徴的な言葉。

「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない。」

出典:『行人』, 1912〜1913年, 朝日新聞連載。主人公・一郎が苦悩の極みで吐露する有名な台詞。

「あらゆる神経衰弱と狂気は、二十世紀の文明が彼等に与えた特殊な病気である。」

出典:『それから』, 1909年, 朝日新聞連載。主人公・代助が近代文明を批判する場面。

「彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」

出典:『門』終章, 1910年, 朝日新聞連載。主人公・宗助の救済不可能な境涯を象徴する結末近くの一節。

「あせってはいけません。ただ、牛のように、図々しく進んで行くのが大事です。」

出典:芥川龍之介・久米正雄宛書簡, 1916年8月24日, 病床で若い文学青年を励ました手紙の一節。

「牛になる事はどうしても必要です。我々はとかく馬になりたがるが、牛にはなかなかなり切れないです。」

出典:芥川龍之介・久米正雄宛書簡, 1916年8月24日, 文学に対する持続的な姿勢を説いた手紙の名句。

「菫程な小さき人に生れたし」

出典:夏目漱石の俳句, 1897年(明治30年), 松山時代に詠まれた名句。漱石の謙虚な人生観を象徴する一句。

「有る程の菊抛げ入れよ棺の中」

出典:夏目漱石の俳句, 1910年, 親友・大塚楠緒子の死を悼んで詠まれた追悼句。

「真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。」

出典:『それから』, 1909年, 朝日新聞連載。代助が友人に語る人生訓。

「前後を切断せよ、みだりに過去に執着するなかれ、いたずらに将来に望を属するなかれ、満身の力をこめて現在に働け。」

出典:『虞美人草』, 1907年, 朝日新聞連載小説における甲野欽吾の哲学的箴言。

「愛嬌というのはね、自分より強いものを倒す柔らかい武器だよ。」

出典:『虞美人草』, 1907年, 朝日新聞連載。漱石朝日新聞専属作家としての第一作。

夏目漱石についてよくある質問

夏目漱石の名言で一番有名な本はどれですか?

漱石の名言を最も多く生み出した代表作は『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『草枕』『こころ』の四作です。特に『草枕』冒頭の「智に働けば角が立つ」と『吾輩は猫である』の書き出しは、日本人なら誰もが知る名句として今も語り継がれています。漱石の名言集を一冊で読みたい方は、岩波文庫『漱石名言集』が定番です。

『吾輩は猫である』の名言で一番有名なものは?

『吾輩は猫である』で最も有名な名言は冒頭の「吾輩は猫である。名前はまだ無い」です。続いて「のんきと見える人々も、心の底をたたいてみると、どこか悲しい音がする」が代表句として知られ、漱石の人間観察眼を象徴する一句として今も多くの読者に引用されています。

漱石『こころ』の絶望を表す名言は?

『こころ』で絶望を表す代表的な名言は「精神的に向上心のないものは、ばかだ」です。先生が友人Kに投げかけたこの言葉が、後にKを自死へと追い詰め、先生自身をも生涯苦しめる呪縛となります。また「自由と独立と己れとに充ちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならない」も近代人の孤独を凝縮した名言です。

『草枕』で人生について語った名言はどれですか?

『草枕』の人生に関する代表的な名言は冒頭の「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」です。続けて「住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画ができる」と語られ、住みにくい人生こそが芸術を生むという漱石の人生観・芸術観が示されます。

『私の個人主義』で漱石が伝えたかったことは何ですか?

『私の個人主義』(1914年学習院講演) で漱石が伝えたかったのは、「他人本位ではなく自己本位に生きよ」というメッセージです。漱石はロンドン留学中の煩悶を経て「自己本位」という言葉に到達し、自分の足で立つ強さを得たと語ります。同時に「自己の個性を尊重するなら他人の個性も尊重せよ」と倫理的な責任もあわせて説きました。

『硝子戸の中』『道草』に見る晩年の漱石の心境は?

『硝子戸の中』『道草』(ともに1915年) は、死の前年に書かれた漱石晩年の心境を最もよく表す作品です。『道草』では「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない」と人生の不条理を静かに受け入れる主人公が描かれ、『硝子戸の中』では「自分は他に対してどれほどの存在であろうかと考える時、私は実に淋しい人間に違いない」と孤独を直視する漱石の姿が浮かびます。最終的に漱石は「則天去私」の境地に到達したとされます。

夏目漱石の名言(追加)

の名言「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」

"智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。"

『草枕』より

"自分の弱点をさらけ出さずに人から利益を受けられない。自分の弱点をさらけ出さずに人に利益を与えられない。"

夏目漱石の言葉

"真面目に考えよ。誠実に語れ。摯実に行え。汝の現今に播く種はやがて汝の収穫となって現るべし。"

夏目漱石の言葉

"のんきと見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする。"

『吾輩は猫である』より

"月が綺麗ですね。"

夏目漱石が「I love you」の訳として示したとされる言葉

よくある質問

夏目漱石の最も有名な名言は?

本記事で紹介している代表的な名言の一つが「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」です。夏目漱石の人生哲学を端的に表す言葉として読者に親しまれており、その背景には本人の経験や思想が色濃く反映されています。

夏目漱石はどんな人物ですか?

夏目漱石(1867〜1916)は、日本の近代文学を切り開いた国民的作家であり、千円札の肖像にも描かれた文豪である。本名は夏目金之助。

夏目漱石の名言の特徴は?

「自分の弱点をさらけ出さずに人から利益を受けられない。自分の弱点をさらけ出さずに人に利益を与えられない。」のように、人間や人生への深い洞察を表す言葉が数多く残されています。本記事には5を超える名言を収録しており、いずれも夏目漱石の生き様や信念を反映した重みのある言葉ばかりです。

夏目漱石の名言から何が学べますか?

「真面目に考えよ。誠実に語れ。摯実に行え。汝の現今に播く種はやがて汝の収穫となって現るべし。」のような言葉から、困難に立ち向かう姿勢や人生に対する向き合い方を学ぶことができます。夏目漱石の言葉は、自分の生き方を見つめ直したいときや、新たな一歩を踏み出したいときの指針として多くの人の心の支えになっています。

名言の学校 編集部 日本語・英語・スペイン語・ポルトガル語の4言語で名言を検証・解説する多言語編集部。すべての名言は一次資料による出典確認を経て公開。